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08 June 2016

良い決断とは.前編.



最近の大島重工は、猛烈に落ち込んでおりました...私としたことが、ここ数日、何度もブログに書き記そうとして、その度に心が痛くなり、書けなくなってしまったほどです.

でも、やっぱり、書かないと前に進めない気がしています.そして、我が家のこういう姿を見て、大切な決断に悩んでいる誰かや、とある決断に後悔している誰かさんの、少しでも励みになれば..と図々しいながらも、そう思って、今回も洗いざらい書き残しておこうと思います.

(ちなみにこの前編は単なる物語で、本当にブログでシェアしたい、私にとって大切なことは後編に書くつもりです.長い前置きでスンマセンっ)

ことの始まりは、イギリスのとある大学からの面接オファー.このポジション、自分の専門と実はちょっとずれていてダメもとで出していたので、面接リストに引っかかったこと、かなりビックリでした.が、もちろんこんな素晴らしい機会、逃すわけにはいきません!2泊3日で行ってまいりました!


さて、今回出されたお題は.

1.向こうが新しく打ち出したいと考えているとあるコースのデザインをして、A42枚にまとめ、当日持参.

2.30分のプレゼン.課された内容は「最初の10分であなたの研究がどの様にうちの修士課程プログラムに貢献できるのか、プレゼンしてください.次の10分で、上記のコースデザインの中から一つの項目を選び授業してください.最後の10分は質疑応答」

自分の専門からずれていた為、まずこの分野の勉強をすることから始めた私.ざっとその分野で現在注目されいてる問題やトピックを見ているうちに、かなり興味が湧いてきました.なので、学生と一緒に議論したいと思えるアイデアはどんどん浮かんできて、そこにどう私の専門知識を役立てるかを盛り合わせ 、自分なりに、教えたい、かつ、多分向こうの求めているものからそこまで離れてはないであろうというコースデザインができました.

プレゼンを作るにあたっては、その学部が打ち出している修士プログラムを勉強し、自分の持っている研究データや、現在進めている研究プロジェクトを、ひたすらクリアーに彼らのプログラムと繋げることに重きを置きました.

前回のアメリカ面接準備の際は、毎日泣きながら苦しみながらの準備でしたが、今回は時間的にも余裕があり、産後3ヶ月経って情緒も安定、エネルギーも回復していたので、実にストレスフリーな準備プロセス.旅行中も前回のような「やべ」トラブルは一切なく、すべてが予定通りに運び、無事デンマークに戻ったわけです.

さて、イギリスの面接形式が面白かったので、私の知っているアメリカの感じと比べつつ、少し書いておきます.

アメリカの場合はまずスカイプ面接でふるいにかけ、3人をキャンパス面接に呼ぶのがおそらく「普通」ですが、今回の大学は、スカイプなしでいきなりキャンパス面接に呼ばれました.

全員で6人が呼ばれ、なんと全員同じ日に順番に面接でした.まず、午前中に30分ずつプレゼン.午後に、一人ずつ面接30分.そして、合間のランチは面接官みんな、面接者みんな、一緒に、立食形式!!これ、ビックリでしたよ!どんだけピキピキした雰囲気になるんだ!?(だって、hello, how are you, hope you don’t get the job!みたいな!?)と、かなりおののいていた私ですが.

いやいや、めっちゃくちゃ楽しかったですよ!6人のうち二人はスカイプ面接を希望したとのことで、実際来ていたのは4人だったのですが.皆、それぞれ個性がめちゃ強!!当然私より頭いい人、物知りな人ばかりだから、話していてすごく勉強させてもらいました.そ、し、て!うち一人はデンマークから来ていた... 所属大学は違えど、世間が狭いデンマーク.お互いお互いの同僚を知っているという、これまたなんとも微妙な(笑 でも、私は彼女の事がとっても好きになりました. 「デンマークあるある」で盛り上がり、楽しかったです!

さて、プレゼンはランチ前だったし私もまだ頭が結構回転していて、楽しく終わったけれど、問題は面接.私は一番最後の16時半始まりに予定されていたので、ランチから面接までが長〜い.けれど、まぁ、上で述べたデンマークの彼女と楽しく談話したおかげで16時の彼女の番まではあっという間に時間が過ぎました.でも、彼女の番が来て去り、彼女の後に予定されていたスカイプ面接者との間でテクノロジー問題があったらしく、私は一人で孤独に待ち続け、とうとう私の番が来た時は、実に18時近くになっていました.

「待たせて本当にごめんなさい!」とスクール長が必死で謝ってくれたけれども、いや、もっと疲れてるのは、6人ぶっ通しで面接している面接官の皆さんでしょうよ!みんな早く帰りたいでしょ〜、同じ質問ばっかで疲れてるでしょ〜、時間取らないから!はっはっは、と軽くみんなで笑ったところで和やかな雰囲気で面接開始.そもそも普段16時以降には頭が回らない私だから質問にうまく答えられるのか不安だったけれど、面接官8人、皆とってもいい人で(これはプレゼン、ランチを通して十分に分かっていました.プロフェッショナル、鋭く、インターナショナル!こういう人たちと働きたい!と心から思っていたので)、だから、面接もやっぱり楽しく.答えを用意していない質問のオンパレードだったけれど、 今回は、アメリカの時のような、やべ10回答はせずに済みましたよ〜!

アメリカの大学の時のような、ディナーも含めての長丁場の面接とは違い、今回はこれでおしまい!面接が終わり、ホテルにコンピュータを置き、服を着替え、身軽になって一人で街に繰り出し、飲んだビールがまぁ、まぁ、まぁ、まぁ、それはそれは美味しかったこと!!!

初めて訪れる街でしたが、思い描いていたよりもチャーミングでかつ生活しやすそう、車なしで問題なさそう、p.a.n.と一緒にそこら辺を歩いている姿が想像できました.(アメリカ面接の時は、これが想像できなかったのでした.)

トラムでチケットを買ったおじさんも優しかった.レストランのスタッフも優しかった.ホテルは街で一番安かったところを選んでしまった為、居心地はイマイチだったけれど、サービスは普通に良かった.

そして、何よりも、何よりも、面接官8人に心底惚れてしまったのでした.

楽しい1日を終えて、ホテルで就寝につくときに、何となく思ったこと.「こんなに条件揃ったところ...万が一オファーが来ちゃったら、苦しむな」.そう思った自分に、はぁ?と問いかけてしまいました.「何で、オファーが来ますように!」じゃないんだ!?

アメリカ面接の時とまたまた比べてみると、あの時は、2校とも、その地に降り立った初日に「ここに住むって、違うみたいだな」と思ったし、その地を去る時に「みんな、大好き、本当に来て良かった!そして、オファーは来ないでしょう」という直感でした.

今回は、「あぁ、もう是が非でもここで働きたい!」の中に、なぜか「オファーが来ちゃったらどうしよう」が、共存する、不思議な、そしてとても図々しい感覚を持って、デンマークに翌日戻ってきたわけです.

そして、その翌朝.

スクール長からの電話...満場一致で即決してくれたそうで...

このパーマネントオファー、今まで、そしてきっとこれからも、私に来ることないであろう素晴らしい、本当に私には勿体無い条件でした.そして、何よりも、私という人間を信じてくれて、認めてくれて、そこに大感動しました.私なんて、本当に大した人間じゃないんです.研究もティーチングも好きだけれど、飛び抜けた業績なんてものは一切ないし、私程度の人、ゴロゴロ、あふれかえってます.なのに、等身大の私を受け入れてくれた、彼らに感謝の気持ちでいっぱいでした.

でも、なんでしょう、なんなのでしょう.やっぱり、そのニュースを聞きながら手放しに喜べない自分がどこかにいて...

a.を幼稚園に送って帰ってきたp.にこの話をしました.この時、p.の表情がパァッ!と輝けば、私は行く!と決めてました.

彼の表情は、私がオファーのニュースを受け取った顔と多分同じ顔でした.

返事をするまでにいただいた期間、3日間(この短さ、ネット情報によると、どうやらイギリスならではだそう).二人で、悩んで、悩んで、悩みまくりました.イエスとノーを何度も行ったり来たりして.いやはや、こんな大事な時に結婚記念日なんてものが重なったので、とりあえず予定どおりカフェでランチしました.そのカフェでたまたまめっちゃマイナーなp.の大好きなイギリス人バンドの音楽がかかれば、「これって行け、ってこと!?」と盛り上がり.次の瞬間には、「何かが引っかかっているからNOなのかな」となり.

3日後にスクール長から電話が来るその瞬間までずーっと、YESNO を行ったり来たりしていた私たちは、「決められません.なので、NOです」という答えを出したのでした.申し訳なくて、情けなくて、そう言いながら不覚にも号泣してしまい... 優しいスクール長は「多分私の子供があなたの子供と同じ頃だったと思うんだけど..」と、彼女自身が同じ決断をした時の話をしてくれました.だからとっても良くわかると.行きたいと思って受けても、実際オファーが来るまで本当の自分の気持ちって分からないものなのよね.と.NOっていう決断ほどpainfulな決断ないのよね、と. 最後に、「あと3日間くらい、考えてみたらどうかしら.それではっきりNOとわかればそれはそれでいいんだから、プレッシャーは感じずにね」という提案をされたのでした.

また3日間苦しんだ私たち...
なぜ決断できないのか.うまく説明できないのですが、理由としては、おそらく、以下.


まず、ガッツフィーリング.去る2010年に、現在所属する大学からのオファーが来た時、身体中が熱くなり、それはそれは大きなYESに包まれました.そのフィーリングをまた感じたい!
...と思っている私たちは大バカ者です.おそらく、本当に、こんなオファーが私ごときに2度も来るはずないのです.でも、来るかも...という気持ちも捨てられないのです.

そして、多分、私にとっては、ここが一番大きかった.
何より、私は、p.が「わーお!」と顔を輝かせる土地に、大島重工を連れて行きたい!!p.は、海辺で育ち、今海の近くに住んでいることをとても気に入ってます(泳げないくせに).実際、アメリカ内では海近くの大学しか受けてません.でも、「イギリスだったら話は別、どこでも行くっしょ!」だったからこの大学を受けたのに.実際オファーを受けてみたら、海が近いところ(私は山育ちなので、特に海には固執してません)を追求したくなったのも確かです.

p.曰く、ニュースを聞いた時の嬉しいけれど戸惑ったような表情は、この街について何も調べていなかったからだと.(前回、アメリカ面接の時は事前に調べまくって変な期待度を上げてしまったため、今回は調べない!と決めていたんだとか)で、調べれば調べるほど、街の住みやすさについてのポジティブな事実は上がってくるし、a.が行けるような森の幼稚園もあるし...大学自体もいろいろな角度から見て素晴らしく、特に私のフィールドは全英2位とかいう充実度.

この大学に移ることは履歴書的にも「キャリアステップ」と見栄えると思うので、まずここに行き、気に入ったらそこに居続ければ良い.何か違うなと思ったらまた他を見てみればいい.普通に考えたら、これが一番ベストな決断です.そもそも、この大学のお引越し代の条件が素晴らしく、単に家具引越し代、家族全員の飛行機代だけではなく、ストレージがしばらく必要な場合それも半年払ってくれる.引越しするのに体力はいるけれど、経済的には一切負担がかからないわけです.本当に、調べれば調べるほど、考えれば考えるほど、一体なぜNOなのかがわからないのです.

(ていうか、後で判明したけれど、この時p.は密かに「YES」だったそうです..でも、彼は彼で、私の本当の気持ちを見極めることに必死でした.一方、私は独り身であったら絶対に受けていたこのオファー.p.さえYESに揺れていれば、行くつもりでいました.このすれ違いが後で大島家を猛烈に苦しめます.それは次回...)

そしてまた同じ決断にたどりついた大島重工.心のどっかに引っかかる、小さいわだかまりに、大島重工は賭けてしまったのです.スクール長はとても残念がってくれ、でも、またもや、「理由の分からない直感的な何かこそ、正しいものだったりするのよ.」と暖かいサポート.「本当にごめんなさい.いつか必ず何らかの形でこのご恩を返したいです.それか、必ずpay it forwardします」と号泣する私に、彼女が言った言葉.「返してもらう方法はただ一つ. あなたのその才能とキャリアをしっかり開花させて!そして、私に見守らせてね」

...なんちゅぅお方でしょう.

誰かを雇うプロセスって、向こうは金銭的にも体力的にも時間的にも、ものすごい量を費やしているわけです.なのに、断られる、そんな大損ってあるでしょうか.そんな事態でこんなあったかいサポートをくれるこのスクール長.あぁ、この人の元で働きたい!なんで、YESって言葉が出てきてくれないんだ!!

電話を切って、しばらくは涙が止まりませんでした.p.がよく頑張ったね、と、ハグしてくれました.

翌日、彼女にお気に入りのお店の珈琲とカード、そして面接官全員に手書きのカードを送りました.こんな失礼をした私を許してくださいとは言わないけれど、誠心誠意を込めて感謝と後悔の気持ちを文字にしたつもりです.

数日後、コーヒーを受け取った彼女から、またも素晴らしい言葉の数々で埋められたメールが届きました.彼女をリーダーとするこのスクールが、本当に羨ましいです.

さて、きちんと決断をして、大島重工、肩が軽くなったー! と思いきや、ここからが大島重工にとっての本当の苦しい戦いが待っていました.次回に続きます...


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