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22 March 2016

産後1ヶ月の大島重工

こういう事ってブログで公に書いちゃっていいのかな?とちょっと疑問だったのですが...いやいや、そこは大島重工、ぶちまけちゃいましょーよっ!

大島重工の相変わらずのハチャメチャぶりを見て、こんなんもありなのねっ.と思っていただければ幸いです.でも、それ以上に今回のブログは、アメリカの大学で就職を考えている人の、少〜うしでも参考になることがあらば、と思って. 私も、自分がその立場になる前に具体的なイメージが欲しかったので.


そう、私、去年の秋頃からちょこちょこと他の大学での仕事を受けていました.前にも書いた通り、私の学部は、消滅寸前という危機にさらされ前代未聞の大騒ぎ.約束されていた学部内での昇進話はすべて「無期限で停止」状態.よって、私ともう一人の同僚は、准教授の審査に合格したにもかかわらず、そこから話が進まず.今頃准教授の審査を受けるはずだった助教たちは、審査の機会すらもらえず.

しかし、私と同じ立場にいたその同僚が、大学を訴えるくらいの勢いだった為、その後大学側が「折れ」て、私とその彼女は「特別に」一年間限定の准教授契約をもらうことになりました.というわけで、私は産休から職場に復帰する9月から一年間、オーフス大学で准教授として働きます.その一年の間に本来の姿であるパーマネントの准教授にしてあげようというのが大学側の説明ですが、そもそも「そんなん口先だけでしょ、そもそも契約付きの准教授なんてありえない!」 と愛想をつかした例の同僚は、さっさと隣町での仕事を見つけ、辞めてしまいました.

私は、上記の状況については、 まぁ、しょうがないし、以前ブログで書いたように、審査合格をもらったのみで自己満足していたので、今も特に文句はありません.つか、こんな私がオーフス大学に5年いさせてもらったことが十分有難いっ!

ただ、これは、そろそろ他の世界を見てみれば?というサインかな?と思い、ちょろちょろと他の仕事を 受けていたわけです。

とはいうものの.車なく生活でき、海と森に囲まれるオーフス、そしてデンマークのワークライフバランス生活にすっかり甘やかされてしまった我が家.これと同じレベルかそれ以上の仕事内容、または街を探すのは本当に大変!博士取り立ての頃の就活は、それこそ「選ぶ」なんてとんでもない、どんな田舎だろうが、どんな職だろうが片っ端から受けていました(そして片っ端から落ちていました).でも、 今回は、オーフス大学からあと1年半はお給料入ってくるから、まだ選ぶ余裕があるよね、と、p.と判断.

で、仕事の公募を見つけたらまず仕事内容を私が見て受けられそうな(=書類選考で引っかかってくれるかもしれなそうな)仕事かどうか見極め→そこでクリアしたもののみをp.にメールで送り→p. が、ロケーションを判断.P.から「yes」と返ってきたもののみ受けるというやり方で、やってきました.

オーフス大学で積ませてもらった経験のお陰で、2009・10年に落ちまくっていた頃に比べると、今回はスカイプ面接まで行かせてもらえる数が増えました.アメリカの大学では大抵、応募者の中からまず10人くらいを書類選考してスカイプ面接、そこから3人を最終のキャンパス面接ってのが定番かと思います.大学によっては、応募者数を教えてくれるところがあるのですが、私の分野は大抵100人前後らしいです.

しかーし.スカイプ面接まで行くも、どこもかしこもその後の連絡ナッシング.ってのが、11月、12月、と続いたので、勇気を出してp.に私の面接一部始終を聞いてもらうことに.だって、p.ってば、面接にこぎつけたらそこから仕事をオファーされなかった事がないくらいの、面接王子!

そして王子に言われましたよ...私は「自分のことを全然売れていないくせに、自分のことばかり」だそうで.あるべき姿は、全くもって逆だろ!と.面接を、相手中心に持って行きつつ、自分を売るところでしっかり売る.そうかぁ、と、思いました.今まで、自分がどういう人間かを知ってもらうことにばかり精一杯で、向こうがどんな人間か(どんな大学か)って事をしっかり知ろうとしていなかったし、興味をうまく示せていなかった.面接前も、面接中も.と同時に、なぜ、いつもp.が面接に成功していたのかが分かりました.彼は、出会いを、新しい人を知る事がすごく楽しいと感じている人なので、そういうのがきっと面接中にしっかり出ているんだろうなぁ、と.

その後、p.コーチに練習相手になってもらい、スカイプ面接をこなしていくうちに、なんとなくコツが掴めてきたような気が. そして、n.出産2日前にスカイプ面接をした某大学Aと、出産2日後にスカイプ面接をした某大学Bから、晴れて、「ファイナリストに選ばれました」通知が届いたのでした.

しかしこれにはびっくりですよ!両方ともアメリカ西海岸にある大学で時差が大きかったのでデンマークでは夜の時間帯だったし、出産直前直後で疲れ果てていたし.よく通ったと思います.ちなみに、出産当日にも他の大学と面接が入っていました.陣痛の最中に「すみません、これから出産の運びとなってしまい、面接の時間にスカイプに行かれません」と必死の思いでメールを打ったのも、今となってはいい思い出です...

しかし!浮かれている場合ではありません.ファイナリストに選ばれたということは、あれですよ.とうとう、とうとう、今まで避けてきた(というよりも一切ご縁のなかった)、ザ、恐ろしきキャンパス面接!自分が博士課程をやっていた頃うちの学部に面接でやってくる人たちを見ていて「私は絶対あれやりたくない...」と思っていた、2泊3日の面接ですよ.朝昼夜ご飯も一緒(=面接の一部)、休む暇もない地獄の2泊3日...

ていうか、いつ来て欲しいんでしょう?え?2週間後?遅くとも3週間後?え、でも、私その頃まだ産後1ヶ月にもなってないよ.アメリカいけるの?ていうか、おっぱいどうする?着れる服ないよ?今から2校面接用のプレゼン作るの?

というわけで、いきなり襲いかかってきた問題を整理すると:

問題1:私の体調
問題2:産後の回らない頭でプレゼン作り、面接準備
問題3:米入国審査
問題4:おっぱい
問題5:着る服


さぁ、頭痛いですよ〜!!!

問題1:私の体調

まずこれに一番ビビりました.a.出産時を振り返ってみると、産後1ヶ月なんて、近所の美容院に10分かけて歩いていくのがやっと.そんな状態でアメリカまで行けるのだろうか?面接というハードスケジュールをこなせるのだろうか?

 p.の意見は最初から一つ.「s.の体調さえ許せば行けーっ!考えるところはそこだけ.子供達は僕に任せればいいんだから、そこは考えるとこじゃないから.」

確かに、p.のおかげで、二人の子供のことは全然心配ではないっす.出発前日にホームドクターのところへ行った際、彼女にも「p.なら1週間の子守なんて全然余裕でしょ!あんないい親いないわよ〜.まぁ、反対のケースだったら、ちょっと心配だったけど.」と言われました.正直なお気持ち、有り難く頂戴します.

すっごく心配だったけど、p.に背中を押してもらって、行くことに決めました!幸い、大学Aと大学Bが両方とも西海岸だった&面接日が近かったので、双方とやりくりし、この二つを一つの旅行にまとめる事が出来ました.日程が決まり、行く旨を伝えたところで、一安心.

だけど、ここから出発までが、辛かった...

問題2:産後の回らない頭でプレゼン作り、面接準備

出発まで、私、毎日、か少なくとも2日に一度は、p.に泣きついてました.だって考える事いっぱいすぎて、産後の体と頭に応えるのなんのって!プレゼンの内容作り、各大学についての勉強、会う人についてのリサーチ.そもそも、n.なんてまだ四六時中寝てるだけで、平日はa.も保育園でいないし、せっかくp.と遊べるチャンスなのです!実はそれを楽しみにして出産という恐怖のイベントを乗り越えたのに、私はコンピュータの前に向かうばかり.「まだ産後10日なのに、なんでゆっくりp.との時間を楽しめないの〜 なんで仕事ばっかなの〜 私こんなことしてていいの〜 カフェ行きたい、映画見たい、ゆっくりしたい〜」と泣き.a.がいる週末には「a.とまったり映画見たい!」「4人でまったりお出かけしたいよ〜」「できない、やっぱできない、プレゼン終わんない〜」「今まだちゃんと座れないのに、出発になっても歩けなかったらどうするの〜」と泣き.「一人でアメリカちゃんと入国できるの、グリーンカード取り上げられて入れなかったらどうするの〜」(毎回ヒヤヒヤモノなので)と泣き.「乳腺炎になったらどうするの〜」、、、もう、泣く理由のつきないこと!!

その度に、p.に「できる!大丈夫、一人じゃないんだから!僕がいるじゃん!なんでも手伝うじゃん!」と励まされ.そして時には「あーのーね!今s.が与えられているチャンスを喉から手が出るほど欲しい人いっぱいいるんだよ!僕たちが行くと決めたことで、そのチャンスを逃した人がいるんだよ!」と諭され.しまいには「いい加減にシィ!もう行くって僕たちは決めたんだもん、やるっきゃないでしょ!」と怒られ.

でも、唯一の救いは、p.がいつも「僕たちが」決めたこと、と言っていたこと.決して、ただの一度も、「s.が決めたんだから、頑張れ」とは、言われませんでした.

ちなみに、飛行機代ホテル代食事代など、面接旅行にかかる費用は一切相手持ちです.国際線だし、ホテルも両大学とも一泊250ドルくらいの素晴らしい5つ星ホテルでした.そう、向こうだって、真剣勝負なのです.こちらが真剣に勝負しなくちゃ、失礼極まりないよね.泣いテル場合じゃない!やっと、私にも、覚悟が座ってきたのでした.

躓いていたプレゼン内容は、p.が親身になってダメ押しをしてくれたお陰で、何度もストーリーは変わりつつも、出発前にはあとは機内で細かいところを詰めるだけとなりました.今回用意したプレゼンは、大学A用の「研究内容を模擬授業の形で30分」大学B用の「研究者としてのプレゼン20分」「模擬授業50分」.どれも与えられてたプレゼン時間が短いがゆえに苦労しました.

問題3:米入国審査

準備にてこれまたブツブツ私が文句言っていたのが 、入国用の書類集め.前回の渡米から10ヶ月、この空白がグリーンカードを持つ私の身には辛いのです.過去5年もアメリカに「たまに帰る」ということをやっている私は、いつも目をつけられます.普段は、 アメリカ人のa.p.と一緒なので心強いのだけれど、今回は一人. イミグレ通過の際に尋問された場合の書類の準備をしっかりしておきたいのです.「アメリカの税金ちゃんと海外から払ってますよ」「今のデンマークの仕事はあくまで一時的なものですよ」「アメリカに銀行口座あります、住所あります」「ここ10ヶ月間ほど帰ってこられなかったのは、妊娠出産したからです」これらを裏付ける全ての書類を用意.

そして、今回本来ならばロスから入るのが一番だったのだけれど、ロスは怖い!手厳しい!というのが前回の印象だった ので、シアトルからアメリカ入りするようにチケットを手配してもらいました.だからと言うわけではないけれど、シアトル空港、めちゃリラックスしていて感じが良かったぁ!心配していた審査官には「10ヶ月...ギリギリセーフ、おめでとう!」と優しく言ってもらえたし、なんと、「ウェルカムホーム」とまで言ってもらえました.いつも異国人として生きている私らにとってこんな嬉しい言葉ってないよね!?成田で「おかえりなさいませ」と言ってもらえる時と同じ.涙が出そうになりながら、アメリカの地を踏んだのでした.

問題4:おっぱい

看護師さんがうちに来た際「再来週アメリカに一週間一人で行くんだけど」と言ったら、えぇっ はぁ?とびっくりされて、「せめてn.だけでも連れて行きなさい!おっぱい出なくなるわよ!」と怒られました.連れて行けるもんなら連れて行きたいけど、パスポート間に合わないし...(注:アメリカ大使館に問い合わせたところ、コペンハーゲンの大使館まで出向けば、一時的に渡米できる書類を発行してくれるとのことでした.ただ、p.が「連れて行ったらs.の体に負担がかかるだけだから 一人で行くのが絶対いい!」の一点張りだったので、それはしませんでしたが.

とにかく毎日母乳を絞って冷凍.それも足りなくなるだろうから、予行演習として、粉ミルクを一度n.に哺乳瓶で与えてみたら、問題なくゴクゴク、よっしゃ.n.が飢えることはなさそうだ!けど、 私のおっぱいが...n.に吸ってもらえないから詰まったらどうしよう.乳腺炎になったらどうしよう.面接中に絞りに行ける休憩時間はあるのだろうか.

私は、a.の時から電動搾乳機を使っていたのですが、これが結構持ち運びに不便.日中これ持ってキャンパス内を歩くのはどうかと思っていたところ、友人が手動搾乳機を貸してくれました.初めて使ったけれど、びっくり.電動のものより良く絞れる!しかも、全然疲れないじゃん!電動のものよりもいろいろな乳腺を刺激しやすく、電動で感じる絞り残し感がない!私にはぴったりでした.持ち運びにも軽いし.

1日目はおっぱいが張って痛かったけれど、3日目くらいからはおっぱいが張らなくなってきて、でも、絞ればちゃんとそれなりの量が出てくるという、いわゆる差し乳状態に.旅行から帰ってきたその後も旅行前に比べて全然張らなくなったけれど、相変わらず母乳のみでn.は育っています.おっぱいどうしよう!とめっちゃ心配していた時にアドバイスをくれた皆様、個人的に頑張れメッセージを送ってくれた皆様.滞在先のホテルにゴボウシを送ってくれたMちゃん.助けられました.本当に、本当に、どうもどうも有難う〜!!!(涙)

問題5:着る服

最後の難関がこれ.だって、まだ骨盤開きっぱなし、ウエストのくびれなんて愚かお腹超でっぱなしの私.着られる服がナーーーイ!!!面接だからちゃんとした装いをしたいのに.無理無理!どれも入らない...

冬ワンピならいけそうだけれど、大学Bがある場所はなんとまだ2月なのに28度だってよ...半袖じゃん...しかも、a.の時同様、今回も妊娠性痒疹に悩まされた私の腕とデコルテには目に余る、酷すぎる跡.a.の時のものが数年経ってやっと目立たなくなってきたところだったんだけどな. 今回は前回よりも広い範囲に渡ってできてしまったのでした.これを隠しつつ、腰回りにフィットする夏ワンピ、ないよ〜(涙)

出発数日前にp.に連れられて買い物へ行ったものの、どれを着てもピンとこない.鏡に映る変わり果てた自分の容姿を見て、試着室で涙がボロボロ.自分がどうにもこうにも醜く思えて、こんな醜い姿形で面接なんて..  試着室でビービー泣いてる私を励ましながら、p.が最後に入ったお店で見つけてくれたワンピ.自分では絶対選ばないものだけど、着てみたら、これならうまく腰まわりも湿疹跡も隠れてる!

(ちなみに、p.は私に似合いそうな服を見つけるのが本当に上手で.洋服選びには欠かせない存在となっているのです.)

てな訳で、いろいろな問題を乗り越え、なんとか出発当日に達した大島重工です.


本当は面接中の話を色々書こうと筆をとったのに、あらら、そこに至るまでの記録で随分と長くなってしまいました.取り急ぎ、結果だけお伝えしておくと.面接後数週間経ってオファーは来ていないので、「この人欲しい!」の一番手には選ばれなかったって事です(一番手がオファーを断った場合、2番手、3番手にオファーが来ます).

しかし、行ってほんっと〜に、良かった.すっごくすっごく楽しかった!が私の心からの感想です.ファイナリストに選ばれるなんて、もうこんな機会、後にも先にもないと思うし、もう、本当、一生の思い出になりました.行かないというオプションを選びそうになっていた時に、p.が押してくれたことに本当に感謝.旅行前と旅行中にFB等で繋がってくれていて、励ましてくれていた友人に大、大、大感謝.

次回のブログではそこらへんを爆発させますねっ!

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